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市ケ谷記念館


 市ケ谷記念館は、1937年(昭和12年)6月に旧陸軍士官学校本部として建てられました。設計は第一師団経理部、施工は鴻池組が行いました。しかし、竣工から2ヵ月後の8月に陸軍士官学校本科が神奈川県座間へ移転、また1941年(昭和16年)に陸軍予科士官学校自体が埼玉県朝霞へ移転し、代わって大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれました。戦後になると、米軍に接収され、1946年(昭和21年)5月から1948年(昭和23年)11月までは極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用され、その後は米極東軍事司令部等に使用されました。1959年(昭和34年)にようやく接収が解除され、陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上・海上・航空自衛隊幹部学校等に使用されました。1970年(昭和45年)11月25日には、この建物に三島由紀夫が篭城し割腹自殺しました。その後、防衛庁が檜町(東京六本木)から市ヶ谷へ移転するのに伴い解体され、玄関や講堂など建物の一部を組み合わせて現在地に再建され、記念館として一般公開されています。
 
市ケ谷記念館 地図(中央のポインターの場所が市ケ谷記念館です)
 
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住所:東京都新宿区市谷本村町5-1
 
文化財指定:なし
構造:2階建
建築年:1937年(昭和12年)
 

 
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