いこまいけ高岡 / 京都の近代建築編
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京都市考古資料館 西陣石碑


京都市考古資料館 西陣石碑(写真:2009年10月28日撮影)
京都市考古資料館 西陣石碑
 
西陣石碑の碑文
西陣石碑の碑文
 
 京都帝国大学総長医学博士荒木寅三郎閣下篆額
古来朝廷には大蔵省に織部司ありて綾錦を織り及
び染物の事を掌れり後其業民間に移り織工等大舎
人座を組織して高機を構へ大舎人織手師と呼ばる
応仁の乱に東西の両軍京都に割拠して攻戦十一年
に及び其間西軍は五辻通大宮東なる山名宗全の邸
を中心として堀川以西一条以北の辺に駐屯せしよ
り北一画を呼んで西陣といふ是時に当りて戦乱相
次ぎ京都の織工多々難を避けて和泉堺の海浜に居
住せり堺は乱中幕府の遣明船発着の港となり貿易
殷賑を極めたり乱平ぎし後京都の織工帰りて西陣
の地白雲村に居り明の織法を伝へて其面目を新?
たり天文中大舎人座中三十一人ありしが元亀二年
其六人を内蔵寮織物司に補せられ御寮織物司と号
す天正中豊臣秀吉白雲の水質不良なるを以て新在
家に移せりといふ此前後より印度支那及び西洋諸
国の織物を伝へて其業益精しく機業の隆威を来す
と共に織工の家西陣の故地に櫛比し西陣織物の盛
名宇内に喧伝せらるるに至れり今茲に西陣発源の
地をとして碑を建て其来歴を明らかにす
 昭和三年十一月 文学博士三浦周行撰 山田徳多書
 

 
京都市考古資料館
正面玄関建物東面2階窓3階窓屋根西陣石碑
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