いこまいけ高岡 / 奈良編
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藤ノ木古墳


 藤ノ木古墳(ふじのき こふん)は、高さ約7.6メートル、最大径約40メートルの円墳です。ただし発掘調査で元々の大きさは、直径48メートル、高さ約9メートルだったことが判っています。未盗掘の玄室内から大量に出土した土師器や須恵器から古墳時代後期の6世紀後半(576年から600年頃)の円墳であると推定されています。墳丘裾には円筒埴輪が並べられていました。畿内におけるこの時期の円墳としては比較的大型のものです。1991年(平成3年)11月16日に国の史跡に指定されました。
 
藤ノ木古墳(写真は2008年11月10日撮影)
藤ノ木古墳
 
 古墳内には、未盗掘の横穴式石室があり、家形石棺に成人男性2人が合葬されていました。横穴式石室の設計は、現在の墳丘裾から盛り土を少し取り除いたところに羨道の入り口(羨門)があり、その羨道を少し進むと両袖式の玄室に至ります。この玄室は円憤の中心部に位置しています。石室規模は、全長14メートル弱、玄室の長さは西壁側で6メートル、玄室の幅は3メートル、高さ3メートルに近く、羨道の長さは7メートル、羨道幅2メートルとなっています。石室の床は礫が敷かれ、その下を排水溝が玄室中央から羨道を通って憤丘裾へと敷かれています。石棺は、玄室の奥の方に安置されています。石材は二上山の白色凝灰岩で造られており、石棺の内や外は、赤色顔料(水銀朱)で塗られています。棺の大きさは、約235 X 130 X 97立法センチメートルあり、蓋は約230 X 130平方センチメートルで、厚さが約55センチメートルから52センチメートルぐらいであり、縄かけ用突起が付いています。
 被葬者は、副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などからこの当時の支配階級の一人であったと考えられていますが、円墳であることから大王クラスではなく、その一族の人物であったと推測されています。具体的な被葬者については諸説あり、穴穂部皇子(聖徳太子の叔父)、宅部皇子(宣化天皇の皇子)、崇峻天皇などの名前が挙げられています。
 
羨道と石棺
羨道と石棺
 
藤ノ木古墳の詳細写真
古墳内の朱色の石棺(たぶん複製品)
朱色の石棺
屋外に展示される石棺模型
石棺模型
 
藤ノ木古墳 地図(橙色マーカ「1」が藤ノ木古墳の場所です)
赤線は、法隆寺前バス停から藤ノ木古墳までの道順です。
 
地図データ 読み込み中 .....
 
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住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1795番ほか
1. 藤ノ木古墳
2. 法隆寺、地図外・上
3. 法隆寺前バス停
4. 法隆寺駐車場
5. 法隆寺 i センター
藤ノ木古墳への行き方
 

 
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