いこまいけ高岡 / 奈良編
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中宮寺


 中宮寺(ちゅうぐうじ)は、聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願により、太子の宮居・斑鳩宮を中心として西の法隆寺と対照的な場所に創建された寺です。創建時は、現在の中宮寺から東へ3丁(約500メートル)の所に残る土壇がある場所に寺院が建てられました。近年の発掘調査で、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式伽藍であったことが判明しました。この伽藍配置は、法隆寺旧若草伽藍と同じです。また出土した瓦は、若草伽藍と異なり飛鳥の向原寺(桜井尼寺)の瓦と同系統のもので、法隆寺は僧寺として、中宮寺は尼寺として初めから計画されて建てられたと推定されます。国宝・菩薩半跏像(寺伝によれば如意輪観音)は中宮寺・金堂の本尊、同じく国宝の天寿国曼荼羅繍帳は中宮寺・講堂の本尊・薬師如来像の背面の奉安されていたと伝えられています。
 平安時代になると寺運衰退し、宝物の大半は法隆寺に移され、僅かに草堂一宇と本尊を残すまでになってしまいました。鎌倉時代には、信如比丘尼の尽力により天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見し、中宮寺に取り戻すなど復興への取り組みが行われましたが往時の寺勢を取り戻すことは出来ませんでした。室町時代の記録はあまり残っていませんが、旧地より室町時代の古瓦が出土していることから、この時代までは旧地で法燈が守られていたと考えられます。戦国時代に火災に遭い堂宇が焼失したため、現在の中宮寺がある法隆寺東院の山内子院に非難しました。その後、旧地での再建がかなわず、山内子院に居続けることになりました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に、後伏見天皇八世の皇孫・智女王を初代門跡に迎え、以来 門跡尼寺として次第に寺観を整え現在に至っています。
 
中宮寺(写真は2008年11月10日撮影)
中宮寺
 
中宮寺 地図(橙色マーカ「1」が中宮寺の場所です)
赤線は、法隆寺前バス停から中宮寺 新本堂までの道順です。
 
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住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
1. 中宮寺
2. 法隆寺 東院伽藍
3. 法隆寺 西院伽藍
4. 法隆寺 南大門
5. 法隆寺前バス停
6. 中宮寺前バス停
7. 法隆寺駐車場
8. 法隆寺 i センター
中宮寺への行き方
中宮寺の写真
菩薩半迦像
菩薩半迦像(如意輪観音)

表御殿
表御殿

 

 
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