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倶利伽羅峠
平為盛塚
平為盛(たいら の ためもり、生没年不詳)は、平頼盛(たいら の よりもり、通称:池大納言、平忠盛の五男、平清盛の異母弟)の次男として生まれ、1183年(寿永2年)の砺波山で行われた源平合戦で、平家方の総大将 平維盛(たいら の これもり、平清盛の孫、武将としての才能は無かったらしいが美男子として有名)の武将として出陣しました。5月11日、源氏の夜襲(いわゆる火牛の計)に敗れ、加賀国に逃れ、翌5月12日未明に手兵50騎を率いて源氏を襲撃しましたが、源氏方の木曽義仲の武将 樋口兼光に首をはねられたと「源平盛衰記」に記されています。なお鎌倉時代初期の史論書「愚管抄」では、為盛は平家の都落ちに際して父・頼盛の使者を務めたと記述されています。この倶利伽羅峠にある塚は、勇猛果敢に戦った武将・平為盛を弔ったものとされ、墓は地・水・火・風・空を表す五輪塔で、高さ1.6メートルの鎌倉時代の建設と考えられています。1969年(昭和44年)9月20日に「為盛塚」として小矢部市史跡に指定されました。平為盛塚は、源平供養塔の裏手にあります。
平為盛塚(写真:2006年4月22日撮影)
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