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化野念仏寺
化野念仏寺 角倉素庵の墓
角倉素庵(いみくらそあん、1571年生 - 1632年没)は、豪商・実業家として名をはせた角倉一族の一員で、父は角倉了以(すみくらりょうい、1554年生 - 1614年没)です。角倉素庵は、保津川の開削や高瀬川の開通や御朱印船貿易など数々の大事業に父の角倉了以と共に携わり、了以の没後は徳川家との関係を深め、淀川過書船も支配して角倉家の地位を磐石なものにしました。一方では、当時儒学の権威とされていた藤原惺窩(ふじわらせいか)のもとで朱子学や和歌を学び、本阿弥光悦や俵屋宗達などとも交流を持ち、文化教養面でもその才能を発揮しました。文学や謡などの活字本である「嵯峨本(角倉本)」の刊行で有名であり、その装丁の美しさや料紙の見事さが芸術の域に達しているといわれています。
角倉素庵の墓が、角倉家の菩提寺である二尊院ではなく、この化野念仏寺にあるのは、不治の病を患ったため自ら葬送の地として知られる化野を選んだとされています。
化野念仏寺 角倉素庵の墓(写真:2011年11月9日撮影)
角倉素庵の墓 地図(Map of Sumikura Soan Tomb, Adashino Nenbutsu-ji Temple, Sagano, Kyoto city, Japan)
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角倉素庵の墓と周辺の見所
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