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平城宮跡地図
平城京 第一次大極殿
大極殿(だいごくでん)は、宮殿の中で最も重要な建物で、天皇の即位の儀式や元旦の朝賀には天皇の玉座である高御座(たかみくら)が置かれました。第一次大極殿の大きさは、間口44メートル・奥行き20メートル、屋根の高さ27メートルで平城宮で最大の建物です。第一次大極殿の復原に際しては、発掘調査のデータや現存する奈良時代の建物などを参考に検討が行われ、2001年(平成13年)から9年の歳月をかけ、平城遷都1300年の2010年(平成22年)に完成しました。
平城宮には、平城京の造営当初から740年(天平12年)12月15日に恭仁京(くにきょう、くにのみや、現在の京都府木津川市加茂町)へ遷都するまでの大極殿(第一次大極殿)と、745年(天平17年)5月に再び都が平城京へ遷都されたときから長岡京(ながおかきょう)に遷都(784年(延暦3年))されるまでの大極殿(第二次大極殿)の二つの大極殿があったことが発掘調査で判明しています。
第一次大極殿のあった第一次大極殿院は、南北約320メートル・東西約180メートルの区画です。北側は一段高く築かれ、大極殿と後殿が南北に配置されていました。南側は儀式の際に貴族が整列する広場となっていました。この構成は、中国(当時は唐)の長安城大明宮含元殿を模して造営されたと考えられています。第一次大極殿院の周囲は築地回廊で囲まれ、南面には南門とその左右には楼閣がありました。第一次大極殿の建物は、恭仁京遷都の際に回廊と共に解体され移築されました。その後、聖武天皇が恭仁京から近江紫香楽宮へ遷ったため、恭仁京大極殿は山城国分寺に施入され、現在も恭仁宮跡(山城国分寺跡、国の史跡)に当時の礎石が残されています。
平城京 第一次大極殿(写真:2011年11月8日撮影)
平城京 第一次大極殿 地図(Map of First Daigoku-den Hall, Heijyo Palace, Nara, Japan)
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第一次大極殿と周辺の見所
工事中の第一次大極殿(写真:2009年10月26日撮影)、 平城京遷都1300年事業として再建
平城遷都1300年記念切手(副題:平城宮跡大極殿と奈良の文化財)、2010年(平成22年)4月23日発行
第一次大極殿の写真
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