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清涼寺
清涼寺 開山 奝然上人の墓
奝然上人墓は、本堂の前にある鎌倉時代に製作された石幢(六角または八角の柱状幢身と龕部・笠・宝珠などから構成される石塔)です。
奝然(ちょうねん、天慶元年1月24日(938年2月25日)生 - 長和5年3月16日(1016年4月25日)没)は、平安時代中期の東大寺の僧で、清涼寺の開山とされる人物です。983年(永観元年)に宋に渡り、天台山を巡礼した後、汴京(べんけい)を経て五台山を巡礼しました。途中でインドの優填王(うでんおう)が造立したと伝えられる釈迦如来立像を模刻し、胎内にその由来記などを納めて、986年(寛和2年)に帰国しました。奝然が請来した釈迦如来立像は、奝然が宋にわたる前に伽藍の建立を誓った愛宕山麓の地に大清凉寺を建立し安置する予定でしたが、志半ばで奝然が亡くなったため、弟子であった盛算が棲霞寺の釈迦堂を以って清涼寺を建立して釈迦如来立像を安置しました。
清涼寺 奝然上人墓(写真:2011年11月9日撮影)
奝然上人墓 地図(Map of Chonen's Tomb, Seiryo-ji Temple, Sagano, Kyoto city, Japan)
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奝然上人墓と周辺の見所
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