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東町曳山 大彫 国姓爺「鄭成功」


 東町曳山の大彫の図案は、国姓爺「鄭成功」の図です。1799年(寛政11年)製作で、彫りは番匠屋9代 北村七左衛門貞国、塗りは北村七左衛門もしくは橋爪春甫です。
 
 国姓爺「鄭成功」については諸説ありますが八尾では次のように伝えられています。
中国・明代末期の隆武帝の家臣であった鄭芝竜という人が、日本の肥前国平戸に渡来し、田川氏の娘と結婚し男子を設け(のちの国姓爺)名を福松としました。福松が二十歳のころ父母と一緒に明国へ渡りました。福松は都を旅立ち千里の藪にかかりたる時、虎が飛び掛って来ました。このとき福松は少しも驚くことなく、体をかわし虎は宙を舞い再び飛び掛ってきましたが、拳骨をもって虎の横面を殴打せしめ虎を倒し生け捕りにしました。その後、父鄭芝竜と共に明の隆武帝に拝謁しました。隆武帝が福松の武勇に感嘆し、「国姓爺」の名を賜りました。
当時の明は、国力が衰え北方民族の韃靼(後の清)に攻め込まれ大変苦戦していました。国姓爺も戦に加わり、呉甘輝や呉三桂などの諸将と共に戦い一時は韃靼を押し返すなどの活躍をしましたが次第に劣勢になり遂には明国の命運尽き、清朝が建てられました。清の皇帝となった韃靼国王は、彼の武勇を愛し家臣に取り立てようとしましたが、国姓爺はこれを拒み部下の兵を率いて台湾島に渡り王となりました。
 
大彫のデザイン:竹林にて虎を押さえ込む国姓爺、図案は近松門左衛門「国性爺合戦」より
東町曳山 大彫
 

 
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