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後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵


 後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵(じゅんとくてんのう ごとばてんのう おおはら の みささぎ)は、三千院から勝林院へ向かう参道の右手にあります。拝所から見て向かって右手に後鳥羽天皇の陵となっている「十三重塔」、左手に順徳天皇の「円丘」があります(ただし生垣に隠れて見えません)。陵印保管場所は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町34-2にある月輪陵墓監区事務所です。参道を挟んで西側には実光院があります。
 後鳥羽天皇(ごとば てんのう、1180年(治承4年)生 - 1239年(延応元年)没)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の第82代天皇(在位:1183年(寿永2年)から1198年(建久9年))です。前代の安徳天皇が平氏とともに西国へ遷ったために、天皇継承の正当な証しである三種の神器が無い状態で後白河法皇の院宣により僅か4歳にして即位しました。幼少であったこともあり、即位から9年間は後白河法皇による院政が続きました。1198年(建久9年)に土御門天皇に譲位し、その後、23年間(土御門天皇、順徳天皇、仲恭天皇の3代)に渡り上皇として院政を敷きました。その間、強大化する鎌倉幕府に対抗すべく強硬路線を続けますが、承久3年(1221年)5月14日の「承久の乱」で時の執権 北条義時に破れ、隠岐に配流となりました。隠岐での暮らしは18年にも及び、延応元年(1239年)2月20日、配所にて崩御しました。
 順徳天皇(じゅんとく てんのう、1197年(建久8年)生 - 1242年(仁治3年)没)は、鎌倉時代初期の第84代天皇(在位:1210年(承元4年)から1221年(承久3年))です。天皇在位中は、父親である後鳥羽上皇による院政が敷かれていたため実権は無く、和歌や詩に熱心であったと伝えられています。上皇の討幕計画に参加するため、1221年(承久3年)4月に仲恭天皇に譲位しましたが、承久の乱は失敗に終わり、佐渡へ配流となりました。21年後の1242年(仁治3年)9月に配流先の佐渡で亡くなりました。翌日に佐渡真野山にて火葬され、翌年に都へ遺骨が運ばれ、後鳥羽院の大原法華堂の側に安置されました。なお新潟県佐渡市真野には、真野御陵(まののみささぎ、順徳上皇火葬塚)があり宮内庁書陵部によって管理されています。
 
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵(写真:2009年10月29日8時29分撮影)
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵
 
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵 拝所
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵 拝所
宮内庁の看板
宮内庁の看板
十三重塔
十三重塔
法華堂
法華堂
 
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵 地図(Map of Gotoba-tenno and Jyuntoku-tenno Oohara-no-misasagi (Ohara Emperor mausoleum), Ohara, Kyoto)
 
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住所:京都府京都市左京区大原勝林院町
 
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雪の積もった後鳥羽天皇 大原陵と順徳天皇 大原陵(写真:2017年1月28日13時54分撮影)
雪の積もった後鳥羽天皇 大原陵と順徳天皇 大原陵
 

 
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