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飛鳥東垣内遺跡
飛鳥東垣内遺跡(あすか ひがしがいと いせき)では、1999年(平成11年)に7世紀中頃のものと考えられる幅約10メートル、深さ約1.3メートルの南北に伸びる大溝が発掘されました。この溝は、飛鳥地方で最大規模の溝で、物資を輸送する為の運河跡と考えられています。また、この様な溝は飛鳥池東方遺跡や飛鳥宮ノ下遺跡や奥山久米寺の西方でも見つかっており、総延長は約1キロメートルの飛鳥時代としては長大な運河でした。
日本書紀によれば、斉明天皇2年(656年)の条に「石上山(天理市の豊田山)の石(天理砂岩)を運ぶために渠(キョ=みぞ)を掘って舟運で運び、宮の東の山に石垣を造り、石山の山丘と呼ばれた」ことが記されています。当時の人々はこの渠を「狂心渠(たぶれこころのみぞ)」と呼んだと伝えられています。有間皇子の変(斉明天皇4年(658年))では、斉明天皇(および中大兄皇子)の失政の一つとしてこの大溝の土木工事が上げられています。「宮の東の山に石垣」とはこの遺跡の南方にある酒船石遺跡の石垣と考えられ、遺跡から発見された大溝も酒船石の丘の東裾から伸びています。飛鳥東垣内遺跡の大溝は、規模や掘削時期・位置からみて、日本書紀の出てくる狂心渠の一部である可能性が大きいとみられています。
飛鳥東垣内遺跡(写真:2009年10月25日撮影)
飛鳥東垣内遺跡 地図(Map of Asuka Higashi-gaito Ruins)
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