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明日香村
水落遺跡
水落遺跡(みずおち いせき)は、日本書紀の斉明天皇6年(660年)5月の条の「皇太子・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)が、日本で初めて水時計を作り、人々に時刻を知らせた」という記事にでてくる水時計の遺跡です。日本書紀には場所の記述がありませんでしたが、1976年(昭和51年)2月20日に国の史跡に指定され、1981年(昭和56年)には遺構が発掘されました。
飛鳥に都が置かれた7世紀の日本は、大陸の先進文化や技術を積極的に取り入れ、律令制に基づく天皇による中央集権的な国家体制を整えつつありました。このような時期に皇太子であった中大兄皇子は、中国に倣った国家作りを目指し、政治や人々の社会生活を明確な時刻制によって秩序づけようとしたと推測されます。時計装置の製作と運用は、当時の最新かつ最高の科学技術を結集した国家事業でした。
水落遺跡では、精密で堅固に築かれた水時計建物と建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置が発掘されています。また水時計建物を中心とした、様々な関連施設も発掘されています。遺跡自体は、建物の礎石群のある方形基檀(一辺約22.5メートル、高さ約1メートル)です。基壇は自然石を3段から4段積み上げた正方形のもので、周囲に底幅1.8メートルの濠状の溝があります。この基壇の上に、方四間総柱(柱芯一辺11メートル)の楼閣が建っていたものと見られます。基檀中央に据えた礎石には、柱の底をかませた窪をうがってあり、さらに礎には縦横斜めにも玉石を連結させ、堅固に据えていました。
水落遺跡(写真:2009年10月25日撮影)
飛鳥水落遺跡 地図(Map of Asuka Mizuochi site)
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場所:奈良県高市郡明日香村飛鳥
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