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「仰剱岳」の慰霊碑


 「仰剱岳」の慰霊碑は、アスファルト道から剱岳・早月尾根登山口へ入る脇道の手前左側(多目的広場)にあります。
 この慰霊碑は「立命館大学山岳部遭難碑」で、1959年12月20日と23日に起きた剱岳西面剱岳西面池ノ谷での立命館大学山岳部6名の遭難死を慰霊するために1961年8月に建立されたものです。
 
「仰剱岳」の慰霊碑(写真:2014年10月30日7時10分撮影)
「仰剱岳」の慰霊碑
 
慰霊碑から剱岳方向を仰ぎ見た(写真:2014年10月30日7時10分撮影)、見えたのは早月尾根の1920mピークと剱御前でした。剱岳本峰は、早月尾根下部に隠れて(灯台下暗し・・・)この場所からは見えませんでした。
慰霊碑から剱岳方向を仰ぎ見た
 
「仰剱岳」の慰霊碑地図
 
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「仰剱岳」の慰霊碑と周辺の施設
  1. 公共駐車場:約30台分
  2. 野営場脇の大岩
  3. 馬場島野営場
  4. 大窓への分岐:標高 760m
  1. 仰剱岳」の慰霊碑
  2. 野営場北の多目的広場
  3. 剱岳・早月尾根登山口への入口
  4. 剱岳・早月尾根登山口:標高 770m
「仰剱岳」の慰霊碑の前面
 石碑前面には「仰剱岳」と大きな文字が彫られ、その下に「大窓 8K 5時間」「早月尾根 12K 9時間」「室堂乗越 10K 6時間」「1961 立命館大学山岳部遭難者追悼のため」と記されています。
慰霊碑から剱岳方向を仰ぎ見た
 
「仰剱岳」の慰霊碑の背面
慰霊碑から剱岳方向を仰ぎ見た
立命館大学山岳部遭難碑
冬の剱岳をめざし二俣隊と三ノ窓隊にわかれ進んだ立命館大学山岳部々員
   法学部四回生 広岡孝二(二俣隊)
   法学部二回生 五日市忠一(二俣隊)
   経済学部一回生 中村彰義(二俣隊)
   経済学部三回生 島田良一(三ノ窓隊)
   法学部二回生 畑哲夫(三ノ窓隊)
   理工学部二回生 奥村喬一(三ノ窓隊)
の六君は、1959年12月20日と23日、不測の風雪にさえぎられて、剱岳西面池ノ谷において遭難、そのとうとい未来と生命をこの地に埋めた・痛恨の極みであるが、六君の不屈の意?と清純な荘心と愛山の情熱は、剱岳の雄姿を仰ぎながら永遠に生きるであろう。
     1961年8月
        立命館大学総長 未川 博しるす
 
中川章 海老敏夫 両君遭難銘
立命館大学体育会山岳部員経済学部四回生中川章、理工学部四回生海老敏夫の両君は、1970年8月3日午後4時、剱岳池の谷左俣コ?ンマシ・フェイス登攀中遭難、あたら有為の才をきびしい岩壁に散らし、暮雪に埋めて、再びわが学園に帰り、共に語り共に学ぶ機会を永遠に失った。まことに痛恨の極みである。しかし、両君の山に対する限りない愛情と、山に挑む不屈の闘争心は、ながく美しい剱岳の岩壁や渓流に生きて、あたたかく後進を教え導いてくれるであろう。両君のヒマラヤ計画にまで続く尊い遺志は、かくして山岳部員のなかに、またわれわれのなかに、逞しく行き続けてゆくと信じている。
中川君、海老君、心安らかに眠り給え。
  1971年8月3日    立命館大学総長 細野 武男
 

 
馬場島
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