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飾り人形 神功皇后と武内宿禰


 金鳳台の上段には、武具を纏った神功皇后(じんぐう こうごう)と赤ん坊(後の応神天皇)を抱いた武内宿禰(たけのしうちのすくね、たけのうち すくね)の飾り人形があります。神功皇后と武内宿禰は、現代では知名度はありませんが戦前までは紙幣の肖像画に登場するほど非常に有名でした。
 
神功皇后と武内宿禰の飾り人形(写真:2008年10月9日撮影)
金鳳台の飾り人形
 
神功皇后  神功皇后(じんぐうこうごう、西暦170年生まれ(成務40年)~西暦269年没(神功69年))は、仲哀天皇の皇后(応神天皇の母)です。201年から269年まで政事を執りおこないました。夫の仲哀天皇の急死(200年)後、住吉大神の神託により、お腹に子供(後の応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め、新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約束したと伝えられています。明治時代には、日本における初めての女性肖像画として紙幣に使われました。なお現在では実在説と非実在説が並存しています。
 
武内宿禰  武内宿禰(たけのうち すくね、西暦84年?(景行天皇14年)生まれ~西暦367年?(仁徳天皇55年)没)は「古事記」および「日本書紀」に登場する人物です。孝元天皇の子孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に244年間仕え、その間国内を平定し、新羅を攻めて活躍したとされています。巨勢・平群・葛城・蘇我・紀などの諸氏が彼の子孫と云われています。記紀の登場人物では最長命の人間で、一人の人物とは考えられず、親子が何代かが同じ名前をついだもの、あるいは個人ではなくある種の人間集団の事跡を一人の人物の事柄に仮託して描かれたものではないかとする仮説があります。
 
武内宿禰に抱かれる赤ん坊の応神天皇、全然判りませんね・・・
応神天皇
 

 
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