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中院山荘跡
鎌倉時代の初め頃この辺りに僧蓮生の中院山荘がありました。蓮生は、俗名を宇都宮頼綱といい、下野国(現在の栃木県)の豪族で、鎌倉幕府の有力な御家人の一人でした。しかし、政争に巻き込まれるのを避けて出家し、実信房蓮生と名乗っていました。後に上洛し、法然上人、次いで善恵上人証空に師事し、この地に山荘を営みました。蓮生は和歌の名手で、近くの小倉山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘が定家の子・為家に嫁いでいます。1235年(嘉禎元年)5月、定家は蓮生が山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼したのに快く応じ、色紙の一枚一枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首ずつ書き記しました。それが後の世で「小倉百人一首」と呼ばれるようになり、この時の選歌に後世、鳥羽天皇、順徳天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したものといわれています。
中院山荘跡(写真:2011年11月9日撮影)
中院山荘跡 地図(Map of Site of Chuin Lodge, Sagano, Kyoto city, Japan)
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所在地:京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町
中院山荘跡と周辺の観光名所
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