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増山城跡
長尾為景塚
長尾為景塚(ながお ためかげ つか)は、上杉謙信の父である長尾為景の墓といわれる塚です。場所は、増山城跡から南西に約2キロメートルの水田の一角にあります。
戦国時代に越後守護代であった長尾氏は、越中の一向一揆勢や神保氏を討つために、長尾能景、為景、景虎(上杉謙信)の三代にわたりしばしば越中へ侵攻し、栴檀野(せんだんの)で戦が行われました。
長尾為景の没地には諸説がありますが、越中において討ち死にし、栴檀野を没地とする説もあります。「越登賀三州志」では、天文14年(1542年)4月11日に為景が増山攻めで討死にしたと伝えており、この塚はその為景を葬った塚と地元では伝えられています。この塚がある場所は砺波市頼成新地内で、小字名を「長尾塚」といいます。
また為景の父・能景は、永正3年(1506年)9月19日、芹谷野の戦い(般若野の戦い)で討死したとされ、為景塚の東180メートルの永田家屋敷にある塚が能景塚と伝えられています。
長尾為景塚(写真:2009年4月11日撮影)
長尾為景塚 地図
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緯度経度:北緯36度38分21秒 東経137度1分27秒
交通アクセス:国道359号線・頼成新交差点から約300メートル、為景塚には駐車場が無く、車の乗り入れも出来ません。
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