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増山城跡
増山城(ますやまじょう)は、室町時代の越中守護代であった神保氏の主要な居城の一つとなっていた山城です。戦国時代には神保氏の重要拠点となり、1560年(永禄3年)に神保長職が長尾景虎(上杉謙信)により富山城を攻略された後、増山城に落ちのび立て籠もった歴史があります。1576年(天正4年)には、反上杉派の神保家家臣と一向一揆勢力が手を結びますが、上杉謙信が増山城を攻略しています。その後、戦国乱世の縮図のように、上杉家、佐々成政、前田家と領主が変わり、最終的には1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となりました。
戦国時代には、魚津市の「松倉城」、高岡市の「守山城」と並び「越中三大山城」といわれていました。富山県指定史跡となっており、砺波市は発掘調査を行い、地権者の理解を求め(開発制限が課せられるため)、長年の苦労が報いられ2009年(平成21年)7月23日に国の史跡に指定されました。
増山城跡パノラマ写真(写真は、2009年4月11日に増山大橋から撮影)
増山城地図
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住所:富山県砺波市増山(和田川ダムの東側)
交通アクセス:国道359号線(通称:音川線)の頼成新(らんじょう しん)交差点で北へ曲がり、県道239号線へ入り、約4キロメートルの場所にある和田川ダムの駐車場を利用。地図中の赤線が国道359号線から増山城(和田川ダム)への道順です。
増山城跡地図(砺波市教育委員会 生涯学習課発行の増山城跡ガイドブックから引用)
増山城の主要な城郭跡。リンク先のあるものは遊歩道沿いにある遺構で、案内板があるか見当のついたものです。遺構の説明・写真・地図・緯度経度情報(携帯電話のGPSで取得)があります。
- 大手口(おおてぐち)
大手とは城の正面玄関のことです。門が残っていないため、どこが大手か判明していません。和田川ダムからの登山ロ、七曲がり、無常南側などの諸説があります。
- F郭(エフかく)
ウラナギ口(和田川ダムからの登山ロ)からの最初の郭です。16世紀に盛土で造成されました。発掘では茶道具や箸など生活道具が出土しています。
- E郭(イーかく、馬之背ゴ):西側の守りの要に位置するL字形の郭です。城下側に土塁が巡り、七曲がりからの進入口に櫓台がありました。発掘により16世紀に郭が拡張されたことが判明しています。F郭の西に位置しています。
- 一ノ丸(いちのまる)
本来「一ノ丸」とは本丸を指し、城主が居を構える場所です。近世絵図にこの名が残っているため、一ノ丸と呼ばれていますが、構造的に本丸とは考え難いです。
- 又兵衛清水(またぺえしょうず)
増山城築城の際、山名又兵衛なる人物が発見したと伝えられる清水です。主郭にあたる二ノ丸の直下にあり、城中の重要な水源であったと考えられます。砺波市内では瓜裂清水と並び「とやま名水百選」に選ばれていますが、砺波市内でも知名度はかなり低いです。
- 馬洗池(うまあらいいけ)
歴代城主の馬を洗ったと伝える池です。発掘調査で、二の丸側斜面に焼土の堆積が確認されています。
- 無常(むじよう):二ノ丸から南に細長く張り出している郭です。地名の由来は「実城(みじょう)」からとの説があります。東下郭を平成9年に発掘しています。
- 二ノ丸(にのまる)
増山城の本丸(主郭)です。周囲の郭は二ノ丸を守るように配置されており、敵兵がもっとも侵入しにくい場所にあります。手前には城跡内で唯一の石垣がありますが、規模が小さく、防御機能よりも権力誇示のための石垣と推定されています。中央に神水鉢がありますが、用途は不明で手水鉢、旗台石、塔芯礎など諸説あります。北東角には鐘楼堂(隅櫓)があり、中心部でもっとも高所(124.23m)です。二ノ丸南空堀で焼土の厚い堆積が検出されています。
- 鐘撞堂(かねつきどう):無常の南にある棺状の施設です。発掘により無常と地続きだったものを堀によって分断して造成されたことが判明しています。南棺台との間の堀切から鐘撞堂に登る階段状遺構が検出されています。時刻を報じる時鐘台であったかは不明です。
- 三ノ丸(さんのまる):「オオヤシキ」とも呼ばれています。L字状に長大な堀が巡り、敵を寄せ付けない構造になっています。二ノ丸、安室屋敷の東側を守る重要な郭です。
- 安室屋敷(あぢちやしき):構造的に二ノ丸ともっとも親密な関係にある郭です。北側から東側にかけて土塁が残り、L郭(三ノ丸)とは、土橋によって連絡していました。「安室」は、家督を嫡子に譲って隠居した人の住居を意味します。
- 池ノ平等屋敷(いけのだいらやしき):ほぼ方形の平坦面に土塁が巡らされています。伝 神保夫人入水の井戸(池)に因んだ名称と考えられています。平成11年に発掘調査が行われ、出土した土師器から、使用時期は16世紀前半から16世紀末と推定されます。
- 法花坊峠遺構(ほっけぼうとうげいこう):発掘により、方一間の掘立柱建物などが確認されています。柱穴から底に穴をあけた土師器皿や15世紀の遺物が出土しました。また、中世遺構の下から古代の竪穴建物が3棟出てきました。
- 亀山城跡(かめやまじょうせき)
郭の配置などから増山城より先行する城と考えられていましたが、平成15年の発掘調査により 16世紀後半に利用されたことが判明しました。主郭は、城跡群で最も高い場所(標高133.1m)に位置しています。
- 孫次山砦(まごじやまとりで):東側斜面に長大な竪堀が切られています。城跡群の北端部にあって射水・婦負方向からの攻撃に備えた砦と考えられます。
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