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六治古塚墳墓


 六治古塚墳墓(ろくじ こづか ふんぼ)は、1989年(平成元年)に発見された弥生時代終末期に築かれた四隅突出型墳丘墓です。河岸段丘南縁辺部に立地し、南方の谷には辺呂川が流れます。一辺24.5メートル、高さ5.1メートルと大型で突出部は長さ7.2メートル、幅10.6メートルです。墳丘周囲には、丘陵側を中心に溝が巡っています。居住域は平野側にある千坊山遺跡と考えられています。
 四隅突出型墳丘墓(よすみ とっしゅつがた ふんきゅうぼ)は、弥生時代中期から吉備・山陰・北陸の各地方で築造された墳墓です。方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した特異な形の大型墳丘墓で、その突出部には葺石や小石が施された墳墓形態です。四隅突出型弥生憤丘墓とも呼ばれています。弥生中期後半頃に現在の広島県の三次盆地で発祥したとされ、弥生後期後葉から美作・備後の北部地域や後期後半から出雲(島根県東部)と伯耆(鳥取県西部)を中心にした山陰地方に見られるようになります。北陸では少し遅れ能登半島などで造られはじめたようです。現在、日本海側を中心に約90基が確認され、北陸地方では現在までに計8基が知られています。四隅突出型方墳の最初の発見は、1969年島根県邑南町瑞穂での順庵原(じゅんなんばら)1号墳であり、北陸地方での最初の発見は1974年で富山市杉谷(富山大学薬学部の杉谷キャンパス近く)にある杉谷古墳群の杉谷4号墳です。
 
六治古塚墳墓 地図(概略地図、航空写真、地形図)
 
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六治古塚墳墓の発掘写真(婦中ふるさと自然公園内の説明板(富山県および富山市教育委員会 設置)を引用)
六治古塚墳墓の発掘写真
 

 
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