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高岡古城公園 服部嘉十郎碑
服部 嘉十郎(はっとり かじゅうろう、1845年生 - 1880年没、享年35歳)は、高岡古城公園の創設に尽力した人物です。
1845年(弘化2年)に生まれ、天資聡明であり幼い頃より学問を好みました。24歳で家督を継ぎ、1873年(明治6年)に第17大区区長(後の高岡市長に相当する役職)に任ぜられました。時の金沢藩は、高岡城址を払い下げ農地開墾を決定し、民間に払い下げました。服部 嘉十郎は、区長として高岡城址保存の請願運動を盛り上げ、1875年(明治8年)に正式に公園として指定されました。嘉十郎は、父が病死すると後を追うように1880年(明治13年)に35歳の若さで短い生涯を閉じました。
服部嘉十郎碑 地図
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