高岡市の開祖である前田利長が隠居後の慶長14年に築いた高岡城は、築城条の名手である高山右近が縄張り(設計)した独創的な構成です。江戸城や大阪城に匹敵すると云われた城郭でした。右近は、時代の大勢を洞察し徳川家と豊臣家の争いが再燃することを予見し万一に備えた堅牢な城を造り上げました。
徳川幕府のキリスト教禁令政策は、年々厳しくなり慶長19年正月には右近が国外追放となり、加賀在藩26年の厚遇を感謝しつつ日本を離れました。慶長19年11月に呂宋(フィリピン・ルソン)にわたりましたが間もなく病に倒れ、翌元和元年正月に64歳の生涯をとじました。
高岡古城公園の入口に建つ高山右近の銅像

古城公園 高山右近像 地図
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