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高岡古城公園
古城公園 高山右近
高山右近(1551年生~1615年没)は、高岡城の築城者です。名前は長房、通称 右近大夫、洗礼名はジュースト、茶道では南坊と号しました。織田信長・豊臣秀吉に抜擢され明石12万石の大名となりましたが、キリシタン禁令を拒否して追放されました。追放後、細川忠興の斡旋により秀吉の内諾を得、加賀藩に一万石以上の高禄で召抱えられました。前田利家・利長とは、茶聖 千利休 門下で知己がありました。
高岡市の開祖である前田利長が隠居後の慶長14年に築いた高岡城は、築城条の名手である高山右近が縄張り(設計)した独創的な構成です。江戸城や大阪城に匹敵すると云われた城郭でした。右近は、時代の大勢を洞察し徳川家と豊臣家の争いが再燃することを予見し万一に備えた堅牢な城を造り上げました。
徳川幕府のキリスト教禁令政策は、年々厳しくなり慶長19年正月には右近が国外追放となり、加賀在藩26年の厚遇を感謝しつつ日本を離れました。慶長19年11月に呂宋(フィリピン・ルソン)にわたりましたが間もなく病に倒れ、翌元和元年正月に64歳の生涯をとじました。
高岡古城公園の入口に建つ高山右近の銅像
古城公園 高山右近像 地図
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