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能登国分寺跡
能登国分寺跡(のと こくぶんじ あと)は、奈良時代の聖武天皇による「国分寺建立の詔(天平13年 = 西暦741年)」から約100年後の西暦843年(承和10年)に、それまで有った大興寺(だいこうじ)という寺院を格上げし、国分寺(金光明四天王護国之寺)としたものです。大興寺の時代も含めて約400年の間、能登での仏教の中心地となりました。
この能登国分寺跡は、七尾市中心部から南へ約1.8キロメートルの場所にあり、周辺には水田が広がっています。昭和45年から発掘調査が始まり、昭和49年に国の史跡に指定されました。平成元年から文化庁の「ふるさと歴史の広場」事業として整備が行われ、平成4年10月に「能登国分寺公園」としてオープンしました。
奈良時代に東大寺を総国分寺として、全国各地に国分寺が建立されましたが、律令体制の衰退により資金援助が無くなり多くの国分寺が廃れました。能登国分寺もその一つで、長い間土の下(水田)に埋もれることとなりました。実はこれが幸いし、当時の伽藍配置がそのままの形で発掘され、現在の能登国分寺公園として、南門・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡・中門跡などの遺構を知ることができます。私は富山県に住んでおり、越中国分寺跡に行ったことがあります。その小さなお堂をイメージして、能登国分寺跡を訪れたのですが、ビックリ・・・、なんと壮大なことでしょう、立派な遺跡(公園としての面積は5.3ヘクタール、東京ドームの1.2倍の広さ)でした。公園の一角には、能登国分寺展示館があり詳しい説明や当時を再現した模型などがあります。
能登国分寺跡 地図、詳細地図
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住所:石川県七尾市国分町リ部9番地(能登国分寺展示館)
能登国分寺跡(写真:2010年7月18日撮影)
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