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明日香村
天武天皇・持統天皇陵
天武天皇・持統天皇陵は、672年の壬申の乱で天智天皇の息子である大友皇子(弘文天皇)を破り勝利し飛鳥浄御原令を制定し律令制の基礎を築いた天武天皇(てんむてんのう、第40代天皇)と、その皇后で天武天皇の次に天皇に即位し、天皇としては初めて火葬された持統天皇(じとうてんのう、第41代天皇)の御陵です。陵墓としての正式名称は「天武天皇 持統天皇 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」で、野口王墓古墳の別名があります。古代の天皇陵としては珍しく治定に間違いがないとされています。
古墳の形状は八角墳で、墳丘は現在東西約58メートル、南北径45メートル、高さ約9メートルの円墳状になっています。鎌倉時代の1235年に盗掘され、その際の検分記録である「阿不幾乃山陵記」に墳丘・前室・墓室内の様子の記載が残されています。その記録によれば、「墳形は八角形で五段築成、周囲に石段を巡らし、切石積みの石室は二室から構成され、天武天皇の夾紵棺(きょうちょかん)と持統天皇の金堂製骨蔵器が納められている」とのことです。
陵印保管場所は、奈良県橿原市大久保町71-1にある畝傍陵墓監区事務所です。
天武天皇・持統天皇陵(写真:2009年10月25日撮影)、県道209号線から見た古墳の全景
天武天皇・持統天皇陵 地図(Map of Mausoleum of Emperor Tenmu and Empress Jito)
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場所:奈良県高市郡明日香村野口
- 天武天皇・持統天皇陵
天武天皇・持統天皇陵の写真
天武天皇・持統天皇陵 拝所(陵墓の南側)
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宮内庁の看板
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墳丘想像図(現地説明板より)
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横口式石槨(現地説明板より)
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