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前田秀継の墓


 前田秀継(まえだ ひでつぐ、生年不明 - 1586年(天正13年)没)は、加賀藩初代藩主・前田利家の弟です。利家が加賀に入ると、越中を治めていた佐々成政との緊張が高まり、加賀・越中国境の防備が急がれ、前田秀継は津幡城(石川県河北郡津幡町)の守将となりました。1585年(天正13年)4月には、越中攻略の重要拠点として築城された今石動城へと入城し、同年5月に多勢で攻め寄せる佐々方の神保氏張や佐々平左衛門などを敗走せしめる軍功を挙げ、豊臣秀吉から黄金百両と御道服を授けられたと伝えられています。同年8月には豊臣秀吉による越中平定(富山の役)が行われ、佐々成政が降伏しました。利家は新たに越中三郡(砺波・射水・婦負 = 現在の富山県西部)を与えられ、秀継は越中国・木舟城(富山県高岡市福岡町木舟)の城主に任ぜられ4万石を領有することとなりました。しかし、同年11月に起きた天正大地震により木舟城が全壊し、秀継は妻や多数の部下と共に圧死しました。秀継の死後は、前田利秀が跡を継ぎましたが木舟城の被害が甚大であったため木舟城は廃城となり、城下町は今石動城(富山県小矢部市)へ移されました。
 前田秀継の墓は、小矢部市矢波の高徳寺跡にあり、小矢部市指定史跡となっています。「前田秀継公記念公園」と看板が出ているので比較的に場所が判りやすいのですが駐車場はありません。
 
前田秀継の墓の写真
前田秀継の墓
 
前田秀継の墓跡 地図
住所:富山県小矢部市矢波
 

 
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