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前田利秀の墓
前田利秀(まえだ としひで、1568年(永禄11年)生 - 1593年(文禄2年)没、享年26歳)は、加賀藩初代藩主の前田利家の末弟・前田秀継の子で、若年の頃より父に従い、加賀・越中・能登の国境で佐々成政と戦い、津幡城(石川県河北郡津幡町)や今石動城(富山県小矢部市)を守備しました。1585年(天正13年)、前田利家が越中を領有した後、前田秀継は木舟城(富山県高岡市福岡町木舟)の城主となりますが、同年11月に発生した天正大地震により木舟城は倒壊し、秀継夫妻もこの時に圧死しました。今石動城の城代となっていた前田利秀は、難を免れ父の跡を継ぎ木舟城下の修復に当たりましたが被害が甚大であったため修復を断念し、城下町を今石動の地へ移すことにし、4万石を領有する今石動城主となりました。1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原・北条氏征伐に参陣し、松井田城(群馬県安中市松井田町)や八王子城(東京都八王子市)などの攻城戦で勇猛果敢に戦い数々の武勲を挙げました。朝鮮出兵(文禄の役)にも加わり、1592年(文禄元年)名護屋城(佐賀県唐津市鎮西町)に向かいましたが、途中病に倒れ、今石動へ帰城しました。利秀は、今石動で療養していましたが、1593年(文禄2年)12月19日に26歳の若さで病没しました。利秀には世継ぎがいなかったため、家老の篠島織部清了(ささじま おりべ きよのり)が加賀藩の名代として今石動を治めました。
前田利秀の墓は、小矢部市の中心市街地・石動にある本行寺境内(本堂裏の山)にあります。小矢部市指定史跡となっています。
前田利秀の墓の写真
前田利秀の墓跡 地図
住所:富山県小矢部市八和町6-4(本行寺)
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