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屋台
清曜台
清曜台(せいようたい、三之町上組)の最初の屋台は、「扇子台」といって、江戸時代後期の1818年(文政元年)ころに創建されました。当時この屋台は三之町全体での所有となっており、1839年(天保10年)頃に、三之町が上組と下組に別れた時に、扇子台は抽選で上組の所有となり、「清曜台」に改称され曳行していました。「清曜」とは、清く輝くという意味です。台紋は「剣三つ星」を使っており、剣は清を表わし、星は曜を表わしています。
1893年(明治26年)の例祭で曳行中に屋台が転倒・大破したために改築が行なわれました。さらに1933年(昭和8年)から8年間の歳月を費やし、古川町の大工棟梁・上谷彦次郎によって大改築が行なわれ、1941年(昭和16年)4月に竣工したのが現在の屋台(扇子台の一部の金具を流用)です。見送り幕一(本楽祭)は旧公爵・近衛文麿 書「八紘一宇」、見送り幕二(試楽祭)は今尾景祥 筆「海浜老松の図」、工匠は古川町の大工棟梁・上谷彦次郎、彫刻は富山県井波町(現在の南砺市)の大島五雲(中段 大鷹)と富山県井波町の岡部圭秀(下段 波に千鳥、龍、鯉、亀)および古川の彫師・蜂谷理八(中段 牡丹と唐草)、塗師は古川町の渡辺正八と神出貞三、金具は高山町の不破健人となっています。
清曜台 写真
清曜台の屋台 全景
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清曜台 背面
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清曜台 屋台の構成要素毎の写真
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