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法隆寺 大宝蔵院

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 大宝蔵院は、百済観音像をはじめとする寺宝を公開しています。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成しました。主な展示品としては、観音菩薩立像(百済観音)、観音菩薩立像(九面観音)、観音菩薩立像(夢違観音)、地蔵菩薩立像、六観音像、六梵天・帝釈天立像、四天王立像、玉虫厨子、橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像などがあります。また、仏画、仏具、舞楽面、経典なども随時展示替えをしつつ公開されています。保存上の理由から常時公開されていない寺宝として四騎獅子狩文錦(唐時代、国宝)、黒漆螺鈿卓(平安時代、国宝)などもあります。
 
法隆寺 大宝蔵院(写真は2008年11月10日撮影)
法隆寺 大宝蔵院
 
法隆寺 大宝蔵院 地図(中央のポインターの場所が大宝蔵院です)
 
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大宝蔵院に展示されている主な仏像
 観音菩薩立像(通称:百済観音、国宝)は、木造で飛鳥時代の作です。もとは金堂内陣の裏側に安置されていました。細身で日本の仏像には珍しい八頭身の特異な像容を示しています。和辻哲郎の「古寺巡礼」をはじめ、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像ですが、その伝来や造像の経緯などはほとんど不明です。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていました。
 観音菩薩立像(通称:九面観音、国宝)は、中国(唐)から伝来したと伝えられる白檀造りの像です。香木を用い、彩色を施さず白木で仕上げた、いわゆる檀像と呼ばれる像です。細かい装身具、体部から遊離している耳飾や天衣まで完全に一木で彫り上げた技巧的な像です。
 観音菩薩立像(通称:夢違観音、国宝)は、銅造で奈良時代の作です。もと東院絵殿の本尊です。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名で呼ばれています。
 地蔵菩薩立像(国宝)は、木造の平安時代の作です。奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)に安置されていましたが、明治初期の神仏分離(廃仏毀釈)で法隆寺へ移されました。大宝蔵院ができるまでは、金堂内陣の裏側に安置されていました。
 六観音像(重文)は、木造で奈良時代の作です。六観音像と通称され、重要文化財の指定名称は「観音・勢至菩薩」、「日光・月光菩薩」、「文殊・普賢菩薩」となっていますが、本来の名称は明らかではありません。少しずつ様式の異なる3対の像から成っています。東京の根津美術館には、この六観音像と酷似した菩薩像があり、もとは8体あったものとも言われています。
 六梵天・帝釈天立像、四天王立像(重文)は、いずれも奈良時代の塑像で、もとは食堂(じきどう)本尊の薬師如来像を囲んで安置されていたものです。
 玉虫厨子(国宝)は、飛鳥時代に造られました。推古天皇御所持の仏殿と云われ、もとは金堂に安置されていた仏堂形の厨子です。製作様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸、絵画の遺品として重要とされています。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名が付けられています。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのはかなり難しい状態です。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」、また「施身聞偈図(せしんもんげず)」は特によく知られています。
 橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像(国宝)は、奈良時代です。玉虫厨子と同様に金堂に安置されていたものです。厨子内の阿弥陀三尊像は奈良時代の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に阿弥陀三尊像が座しています。
 金堂小壁画(重文)は、1949年の金堂の火災の際、取り外されていたため難をまぬがれた、小壁の天人の壁画20面です。20面のうち一部が展示されています。
 

 
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