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法隆寺 金堂

いこまいけ高岡

 金堂(国宝:1951年(昭和26年)6月9日指定)は、桁行5間、梁間4間、二重、初重もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし板葺の二重仏堂(飛鳥時代の建築)です。ただし上層に部屋等がある訳ではなく、屋根を二重にしたのは外観を立派にするためと考えられています。金堂に見られる組物(軒の出を支える建築部材)は、雲斗、雲肘木などと呼ばれ、曲線を多用した独特のものです。この他、二階の卍くずしの高欄(手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)も独特です。これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔のみに見られる様式で7世紀建築の特徴です。二層目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻んだ柱は、軒構造を補強するため鎌倉時代の修理の際に付加されたものです。金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として世界的に著名なものでしたが、1949年(昭和24年)、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損しました。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存しており、法隆寺内の大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されていますが、非公開となっています。なお、解体修理中の火災であったため、初層の裳階(もこし)部分と上層の全部分と堂内の諸仏は焼失を免れています。この火災がきっかけで文化財保護法が制定され、火災のあった1月26日が文化財防火デーとなりました。金堂は、法隆寺の本尊を安置するための聖堂です。金堂の堂内は、「中の間」「東の間」「西の間」に分かれ(それぞれの間に壁等の仕切りはありません)、それぞれの間には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦如来像(飛鳥時代、国宝)、太子の父・用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代、国宝)、太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた阿弥陀如来座像(鎌倉時代、重文)を本尊として安置しています。また、これらの仏像を守護するように、樟で造られた日本最古の四天王像(飛鳥時代、国宝)が邪鬼の背に乗って立っています。その他にも、木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代、国宝)が安置されています。天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊るされています。
 
法隆寺 金堂(写真は2008年11月10日撮影)
法隆寺 金堂
 
法隆寺 金堂 地図(中央のポインターの場所が金堂です)
 
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金堂に安置されている仏像
 釈迦三尊像(国宝)は、止利仏師作の光背銘(623年の年号入り)を有する像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作です。図式的な衣文の処理、杏仁形(アーモンド形)の眼、アルカイックスマイル(古式の微笑)、太い耳朶(耳たぶ)、首に三道(3つのくびれ)を刻まない点など、後世の日本の仏像と異なった様式を示し、大陸風のデザインが顕著な仏像です。
 薬師如来座像(国宝)は、東の間本尊です。薬師如来座像の脇持とされる日光・月光菩薩像は別に保管されていますが、作風が異なり、本来一具のものではありません。
 阿弥陀三尊像(重文)は、鎌倉時代の慶派の仏師・康勝の作です。元来の西の間本尊が中世に盗難にあったため、新たに作られたものです。全体の構成、衣文などは鎌倉時代の仏像にしては古風で、東の間の薬師如来像を模したと思われますが、顔の表情などは鎌倉時代風になっています。なお、両脇侍像のうち1体は明治時代に盗難のため寺外に出て、現在フランス・ギメ美術館蔵となっており、現在金堂にあるのは模造です。
 四天王立像(国宝)は、飛鳥時代の作です。釈迦三尊像、薬師如来像が銅造であるのに対し、木造彩色となっています。後世の四天王像と違って、怒りの表情やポーズを表面にあらわさず、邪鬼の上に直立不動の姿勢で立っています。
 毘沙門天・吉祥天立像(国宝)は、中の間本尊釈迦三尊像の左右に立ち、平安時代の木造彩色像です。
 
法隆寺 金堂の写真
初層の屋根を支える獅子の彫刻
初層の屋根を支える獅子の彫刻
二層目の屋根を支える龍の飾り柱
二層目の屋根を支える龍の飾り柱
裳階(もこし)
裳階
風鐸
風鐸
 

 
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