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高岡御車山祭
母衣宿
母衣宿には、母衣武者具足1式を展示しています。昭和15年頃までは御車山祭の曳山巡行で火消しの纏(まとい)姿で行列に参加していました。
母衣(ほろ)は、武士の軍装の一種です。元々は平安時代末期に生まれた懸保侶(かけぼろ)という補助防具です。背中に長い布をたわませたもので、馬を駆けると風をはらんでふくらみ、背後に長く引いて背面からの流れ矢を防ぐ役割がありました。騎馬戦闘が廃れた室町時代のころから、内部に竹などで編んだカゴを入れて常に風をはらんでふくらんだ形状とした装飾具に変化していきました。武士の組織化が進んだ戦国時代には、赤や黄色など目立つ色で着色され敵味方に識別しやすい母衣は、大名の精鋭の武士や、本陣と前線部隊の間を行き来する使番に着用が許される名誉の軍装として使われました。織田信長が馬廻から選抜して使番として用いた黒母衣衆・赤母衣衆や、豊臣秀吉の黄母衣衆などが有名です。因みに前田利家は赤母衣衆に属していました。
元町御母衣宿に飾られた母衣武者具足1式と纏
平米町御母衣宿に飾られた母衣武者具足1式(前田土佐守直躬 御着用)と纏
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