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高岡御車山祭
津幡屋与四兵衛顕彰碑
津幡屋与四兵衛は、御車山騒動(高岡御車山に類似する曳山を禁止する争い、対象とされたのは城端・放生津・今石動の曳山)の最も盛んであった安永年間(1772年から1780年)の頃、二番町に住み若衆頭として御車山護持の先達となり曳山に尽くした人で地元では義人とされています。
1775年(安永4年)8月に津幡屋与四兵衛は若衆数名とともに放生津(現在の射水市新湊)の祭礼に赴き、加賀藩の定めた掟に背く曳山であるとし強く談判し放生津の人々との間に大騒動を引き起こし役人に捕らえられ投獄されました。与四兵衛は、獄中でも高岡御車山の尊い由来や特別の由緒を申し立て在牢9ヶ月の吟味の末に病で獄死しました。高岡町民はこの由緒格式を守った義挙を称え御車山の守護神として関野神社の境内に祠を建てました。現在でも4月3日に関野神社境内で与四兵衛祭が行われています。また、与四兵衛の旧宅があった場所(二番町)には顕彰碑が建てられています。
御車山騒動については、富山県南砺市にある城端曳山会館に行くと当時の文献(安永曳山訴論など)や検分に使った車輪などが展示されています。
高岡御車山祭の津幡屋与四兵衛顕彰碑(写真:2008年5月1日撮影)
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