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芦峅寺
布橋灌頂会
布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)は、かつて(明治時代初期まで)立山が女人禁制の山であった時代に極楽往生を願う女性たちを救済するために行われていた儀式です。芦峅寺にある姥堂川に架かる布橋を「あの世」と「この世」の境界に見たて、女人衆が布橋を渡り死者の世界に入り、再び布橋から戻ることで、清らかな身に生まれ変われるという擬死再生の儀式とされていました。布橋灌頂会が始まった時代は不明ですが、現存している文献によれば江戸時代初期の1614年(慶長19年)に加賀藩初代藩主 前田利家の妻「まつ」が芦峅寺を訪れ、橋に布を敷いて渡った記録が残されています。また1864年(元治元年)の布橋灌頂会への寄進者を記した古文書には、徳川幕府13代将軍徳川家定夫人の天璋院 篤姫(てんしょういん あつひめ)や14代将軍徳川家茂夫人の皇女 和宮(こうじょ かずのみや)ら大奥の女性たちの名前が記載されています。
明治時代初期の廃仏毀釈や近代化による立山信仰の衰退により、布橋灌頂会は長らく行われなくなりましたが、1996年の国民文化祭とやまの記念行事として約130年ぶりに復活し、その後、2005年(平成17年)と2006年(平成18年)および2009年(平成21年)と不定期に実施され、2011年(平成23年)以降は3年に1度の開催となりました。女人衆は一般公募で選ばれ、2011年は142件の応募があり、当日は75名の女性が女人衆として布橋灌頂会に参加しました。
布橋灌頂会での女人衆の橋渡り儀式(写真:2011年9月24日撮影)
布橋
布橋灌頂会スケジュール(2011年9月24日(土))
- 開会式:午前10時から
- 閻魔堂儀式:午前10時10分から、閻魔堂にて
- 橋渡り儀式:午前10時45分から、布橋にて
- うば堂儀式:午前11時30分から、遥望館にて
- 一般橋渡り体験:正午から、料金 一人2000円、対象者 性別不問で誰でも
布橋灌頂会 地図
- 布橋
- 閻魔堂
- 遥望館
- 姥堂基壇
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