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興福寺
興福寺 東金堂
東金堂(国宝)は、726年(神亀3年)に聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。創建当初は床に緑色の塼(せん、タイル)が敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世に表されていました。1180年(治承4年)の兵火による焼失後、1187年(文治3年)には興福寺の僧兵が飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪し、東金堂本尊に据えました。東金堂はその後1411年(応永18年)に五重塔とともに焼失し、現在の建物は1415年(応永22年)の再建(桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺)です。室町時代の建築ですが、規模、形式ともに天平時代の堂に準じた建築様式となっています。前1間を吹き放しとし、三手先斗栱(みてさきときょう、軒を支える組物)、寄棟造で、奈良時代の雰囲気を現代に色濃く伝えています。
東金堂の中には、銅造薬師三尊像(重文)、木造維摩居士坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)が安置されています。銅造薬師三尊像の中尊は1411年(応永18年)の火災後の再興像で室町時代の作です。脇侍の日光月光菩薩像は応永の火災の際に救出されたもので、奈良時代の作品です。木造維摩居士(ゆいまこじ)坐像は、本尊薬師如来の向かって左に安置され、鎌倉時代の1196年(建久7年)に定慶(じょうけい)によって作られた仏像です。維摩は仏教経典に登場する伝説上の人物ですが、実在の老人のようにリアルに表現されています。木造文殊菩薩坐像は、本尊薬師如来の向かって右に安置され、木造維摩居士坐像と対を成しています。作者は不明ですが、維摩像と同じ頃、定慶の手になるものと推定されています。「維摩経」に説かれる文殊と維摩の問答の場面を表現したものです。木造四天王立像は、堂内四隅に安置されています。東金堂内の他の像より古く、平安時代前期の重厚な作風の仏像です。木造十二神将立像は、薬師如来を守護する12の眷属の像です。鎌倉時代の1207年頃(建永2年頃)の作とされ。各像の躍動的な姿勢と12体の個性を彫り分けた群像表現が見所です。
興福寺 東金堂(写真:2011年11月8日撮影)
東金堂のパノラマ写真(2011年11月8日に撮影した写真を合成して作成)
興福寺 東金堂 地図(Map of Higashi-kon-do Hall, Kofuku-ji Temple, Nara City, Japan)
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中央の赤マーカーの場所が東金堂です。
東金堂と周辺の見所
- 東金堂:1415年(応永22年)再建、国宝
- 国宝館:阿修羅などの興福寺所蔵の仏像や寺宝を展示する施設
- 五重塔:1426年頃(応永33年頃)再建、国宝
- 仮金堂:講堂跡に建つ建物で、薬師寺の旧金堂を移築
- 中金堂跡:2018年完成に向けて再建工事中
- 中門跡基壇
- 南大門跡
- 興善院
- 南円堂:1789年(寛政元年)再建、国指定重要文化財
- 三重塔:1180年(治承4年)の焼失のあと間もなく再建、国宝
- 本坊
- 大湯屋:1426年(応永33年)頃再建、国指定重要文化財
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