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興福寺 中金堂跡


 中金堂(ちゅうこんどう)は、藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として710年(和銅3年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定されています。のちに東金堂・西金堂が建てられてからは中金堂と呼ばれました。創建以来たびたび焼失と再建を繰り返しましたが、江戸時代の1717年(享保2年)の火災による焼失後は1世紀以上も再建されず、1819年(文政2年)に篤志家の寄付によってようやく再建されました。この文政再建の堂は仮堂で、規模も以前の堂より一回り小さくなりましたが、興福寺国宝館の開館(1959年)までは、高さ5.2メートルの千手観音像をはじめ、多くの仏像が堂内に安置されていました。また、朱色に塗られていたため「赤堂」とも呼ばれていました。あくまで仮の堂として建てられたため、長年の使用に不向きである安価な松の材木が使用されており、経年による雨漏りがひどくなり1974年に中金堂裏側に仮金堂(奈良・薬師寺の旧金堂を移築したもの)が建てられ、本尊などはそちらに移されました。文政再建の仮堂の中金堂は老朽化のため移築再利用も不可能と判断され、一部の再利用できる木材を残して2000年に解体されました。
 現在中金堂の再建事業が進んでおり、興福寺 創建1300年の2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内の整備が進められ、2018年(平成30年)に落慶する予定となっています。さらに将来的には中門と回廊も再建される計画となっています。仮金堂内には興福寺の本尊である釈迦如来坐像(江戸時代の再興)のほか、木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重文、像高3.6メートルの巨像。現在は中金堂本尊釈迦如来像の両脇に安置されるが、本来は廃絶した西金堂本尊・釈迦如来像の脇侍として、鎌倉時代の建仁2年(1202年)造立されたもの)や木造四天王立像(重文、もと南円堂にあり、鎌倉時代、運慶の父・康慶一門の作)が安置されています。
 
興福寺 中金堂跡(写真:2011年11月8日撮影)
興福寺 中金堂跡
 
2009年の中金堂跡、再建中で2009年10月時点では基壇のみ
2009年の中金堂跡
 
興福寺 中金堂跡 地図(Map of Site of Chukodo Hall, Kofuku-ji Temple, Nara City, Japan)
 
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中央の赤マーカーの場所が中金堂跡です。
 
中金堂跡と周辺の見所
  1. 中金堂跡:2018年完成に向けて再建工事中
  2. 仮金堂:講堂跡に建つ建物で、薬師寺の旧金堂を移築
  3. 中門跡基壇
  4. 南大門跡
  5. 国宝館:阿修羅などの興福寺所蔵の仏像や寺宝を展示する施設
  6. 東金堂:1415年(応永22年)再建、国宝
  7. 五重塔:1426年頃(応永33年頃)再建、国宝
  8. 本坊
  9. 北円堂:1208年(承元2年)頃再建、国宝、興福寺に現存する建物では最古の建築
  10. 興善院
  11. 南円堂:1789年(寛政元年)再建、国指定重要文化財
  12. 三重塔:1180年(治承4年)の焼失のあと間もなく再建、国宝
 

 
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