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高山市
飛騨東照宮
飛騨東照宮(ひだ とうしょうぐう)は、1619年(元和5年)飛騨高山藩3代藩主「金森 重頼(かなもり しげより)」によって高山城中に勧請された東照権現社が、1628年(寛永5年)に西之一色村の鴻巣の森尾崎に遷座したのが飛騨東照宮の創始です。1670年(延宝8年)に社殿を改修し、1692年(元禄5年)には東耀山松泰寺宝珠院を勧請し別当(神仏習合での仏教寺院)としました。藩主であった金森家は同年に出羽国上山へ転封となり、最終的に金森家は1758年(宝暦8年)に改易断絶となりました。この間に飛騨東照宮も衰退しましたが、その後徐々に再興が行われ、1818年(文化15年)に現在地へ移転と大改修が行われ、現在の神域を完成させました。明治維新の神仏分離によって別当であった松泰寺が廃寺となり、飛騨東照宮の護持も郡代所および高屋町方旦那衆の手から西之一色村へと移管されました。
飛騨東照宮の祭神は、源朝臣と徳永家康公です。さらに合祀されているのは、大山咋神、応神天皇、家津御子神、速玉男神、櫛御気野神、菊理姫命、伊邪那岐命、伊邪那美命です。
飛騨東照宮の文化財としては、「本殿と唐門および透塀」が岐阜県指定重要文化財、「本地堂(現 朝日稲荷神社・菅公廟)」が高山市指定有形文化財、「四神旗 四本」が高山市指定有形民俗文化財、旧松泰寺墓地にある「幸田善太夫高成の墓」が高山市指定史跡、東照宮例大祭(毎年4月15日)の「飛騨東照宮 おかめ舞 獅子舞」が岐阜県指定重要無形民俗文化財となっています。
なお江戸時代初期に彫刻職人として活躍し日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎が少年期に暮らした飛騨高山の東照宮と言うことで、彫刻を期待して飛騨東照宮へ行くと期待外れな結果となります。
飛騨東照宮(写真:2009年10月10日撮影)
飛騨東照宮地図、赤線はJR高山駅から飛騨東照宮までの道順。飛騨東照宮 境内地図
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住所:岐阜県高山市西之一色町3丁目1004番地
- 飛騨東照宮
- 西之一色町 交差点
- 上岡本町南 交差点
- 花里跨線橋東 交差点
- JR高山駅
飛騨東照宮 写真
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