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瑞龍寺
瑞龍寺 石廟
前田利長公は、本能寺の変の後に織田信長公父子の分骨を迎え、その霊を慰めたと伝えられています。利長公の菩提寺である瑞龍寺を造営した時、開山 広山恕陽(こうざんじょよう)禅師が利長公父子も加えて同じ形式の五基の廟を建造したのがこの石廟の由来です。
廟の石材は、淡緑色の凝灰岩(越前笏谷石:しゃくたにいし)を用い、壇上積みの基礎の上に建つ切妻型石廟となっています。廟内の宝篋(ほうきょう)印塔は、越前式の月輪装飾を施したものです。この形式は、加越能(加賀・越中・能登)三州に広く分布しています。
石廟は向かって右側から、前田利長公(高岡開祖)、前田利家公(加賀藩祖・利長公の父)、織田信長公(利長公の夫人:玉泉院の父)、織田信長公側室、織田信忠公(信長公の嫡男)の五人の廟が並んでいます。これらの石廟の中でも利長公の廟は、壁面に二十五菩薩を刻んだ美しいものです。
瑞龍寺 石廟は、昭和45年に富山県指定文化財史跡に指定されました。
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