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明日香村
檜隈寺跡
檜隈寺跡(ひのくまでら あと)は、現在の於美阿志神社(おみあしじんじゃ)の境内とその周辺の田畑です。檜隈寺跡のある高松古墳の南一帯は、檜前(ひのくま)と呼ばれ、古代の飛鳥時代には朝鮮半島などから渡ってきた渡来人が多く住んでいた土地です。百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)が居住したと伝えられ、於美阿志神社には阿智使主が祭神として祀られています。
檜隈寺は、阿智使主の末裔とされる渡来系の氏族「東漢氏(やまとのあやうじ)」の氏寺であったと考えられています。神社の境内には、講堂跡と塔跡と推定される建物跡が確認されており、発掘調査では7世紀末の瓦が出土しています。塔跡には、「於美阿志神社 石塔婆」の名称で国の重要文化財に指定されている平安時代に製作された十三重石塔(上層一部欠損)が建っています。伽藍は、一塔一金堂一講堂で、西に中門があり、北に講堂、南に金堂がありました。中門からは回廊が伸び、講堂と金堂に繋がり、更に東側まで伸び伽藍を囲み、回廊で囲まれた区画の中に塔が建てられていました。
境内(鳥居を抜けて右手)には、「宣化天皇桧隈廬入野宮址」と記された石標柱があります。檜隈廬入野宮は「ひのくまのいおりののみや」と読みます。檜隈に宣化天皇(せんかてんのう、第28代天皇、在位は536年から539年までの3年余り)の宮があったとの伝説により現在地の標柱が立てられたようです。建立は1915年(大正4年11月)、建立者は奈良県教育委員会。
檜隈寺跡(写真:2009年10月25日撮影)
檜隈寺跡 地図(Map of Site of Hinokuma-dera Temple)、檜隈寺跡 境内地図
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住所:奈良県高市郡明日香村大字檜前
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