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徳融寺

いこまいけ高岡

 徳融寺(とくゆうじ)は、奈良市鳴川町(奈良町の一角)に位置する融通念仏宗の寺院で、山号は「豊成山」です。平城京の外京(げきょう)の六坊大路にあたり、元興寺の境内にあり、観音堂とも別時念仏の道場であったとも伝えられています。室町時代のの1451年(宝徳3年)に元興寺が土一揆で伽藍の大部分が被災したため、本尊を現在地に移し、1590年(天正18年)に融通念仏宗の檀家寺院として再興したと伝えられています。
 本堂は、1667年(寛文7年)に休岸上人によって再建された建物です。奈良県指定有形文化財に指定されています。本堂に安置されている木造阿弥陀如来立像は、源頼朝公の妻 北条政子の念持仏であったと伝えられています。徳融寺の境内には他に、毘沙門堂(1632年(寛永9年)建築、奈良市文化財)、観音堂地蔵堂、方丈、庫裏(1611年(慶長16年)建築、もとは本堂)、鐘楼などがあります。観音堂の本尊は、平安時代初期の作とされる子安観音立像です。この観音は、大和北部八十八ヶ所四番札所です。江戸時代末に子安観音にちなんで、寺子屋が開かれ、明治5年の学制で「魁化舎第三番小学」となり、後に西木辻八軒町に移転し、現在の奈良市立済美小学校となっています。
 徳融寺のあった場所は、藤原不比等の孫である右大臣 横佩豊成(よこはぎ とよなり=藤原豊成)の邸宅跡とされています。折口信夫の小説「死者の書」にも登場する豊成の娘「中将姫(ちゅうじょうひめ)」はこの地で育ったとされています。観音堂裏には、豊成公と中将姫の石塔(鎌倉時代の宝篋印石塔)があります。この石塔は、戦国時代に松永弾正久秀が多聞城を築くときに近郊の石塔を挑発した時に持っていかれそうになり、徳融寺の住職で連歌師でもあった心前上人が「曳残す 花や秋咲く 石の竹」と詠み、危うく難を逃れたと伝えられています。
 
徳融寺(写真:2009年10月24日撮影)
徳融寺
 
徳融寺 地図(Map of Tokuyu-ji Temple, Nara-machi)、徳融寺 境内地図
 
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住所:奈良県奈良市鳴川町25
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