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照蓮寺


 照蓮寺(しょうれんじ)は、真宗大谷派高山教区高山一組に属する寺院です。通称は「中野照蓮寺」です。1253年(建長5年)に親鸞の教えを受けた嘉念坊善俊(後鳥羽上皇の子または孫と伝えられる人物)が美濃国長滝から飛騨国白川郷鳩ヶ谷(現 岐阜県大野郡白川村)に入り、建立した「正蓮寺」が照蓮寺の起源とされています。
 1504年(永正元年)に建立された「本堂」は国の重要文化財、1574年(天正2年)に建立された「中門」と「建武元年三月十二日」「飛州安國寺」の銘が入った「梵鐘」は岐阜県重要文化財に指定されています。また、中野照蓮寺に隣接した場所には「福来博士記念館」があります。福来友吉博士は、念写や透視など超能力を研究した人物です。
 戦国時代には、浄土真宗の勢力が飛騨でも大きくなり、正蓮寺の僧「教信」は還俗し「三島将監」を名乗り勢力を拡大していきました。三島氏とこの地を治める帰雲城城主内ヶ島氏は勢力争いで対立し、1488年(長享2年)帰雲城城主内ヶ島為氏により正蓮寺が焼き討ちにあい、三島将監は戦死、弟の明教はかろうじて逃げ延びました。明教の子である正蓮寺第十世明心は、内ヶ島為氏と和睦し、1504年(永正元年)、飛騨国白川郷中野(現 高山市荘川町中野)に寺院を復興し、「正蓮寺」から「光曜山 照蓮寺」と改称しました。内ヶ島氏と手を結んだことにより「照蓮寺」の勢力は拡大し、三木氏の後に飛騨国を治めた金森長近はそれを恐れ、1588年(天正16年)、高山城城下の鉄砲町に「照蓮寺」を移転させました。移転後も白川郷中野には、正蓮寺開基善俊の墓と本堂が残されました。これにより照蓮寺は二つとなり、高山城城下の寺を「光曜山 照蓮寺」、白川郷中野の寺を「心行坊」と呼ぶようになりました。明治の初めごろに本山に改称を願い出て、「心行坊」から「照蓮寺」と公称するようになりました。1961年(昭和36年)御母衣ダムによる水没のため、白川郷中野から現在地の高山市堀端町に移転しました。
 
照蓮寺(写真:2009年10月10日撮影)、本堂
照蓮寺
本堂
本堂
鐘楼
鐘楼
中門
中門
正蓮寺開基善俊の墓
正蓮寺開基善俊の墓
鼓楼
鼓楼
 
照蓮寺 地図、照蓮寺 境内地図
 
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住所:岐阜県高山市堀端町8(城山公園)
 
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