いこまいけ高岡 立山の高山植物
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クロユリ


 クロユリは、ユリ科バイモ属の高山植物です。学名:Fritillaria camtschatcensis、和名:クロユリ(黒百合)
 日本では中部以北に分布し、海外では千島列島、ロシア連邦のサハリン州、カムチャツカ半島、ウスリー地方、北アメリカ北西部に分布しています。高山植物で、高山帯の草地に生えています。花期は夏です。花は褐紫色で花径3cm程度、釣鐘の形をした花が下向きに咲くのが特徴の多年草です。地下にりん茎があり、茎は高さが10〜30cmになります。葉は互生ですが、接近して2段から3段の輪生状につきます。日本で最も有名な生息地は白山で、大量に群生しているのが見られます。
 花言葉は「恋」「呪い」「復讐」です。富山には「佐々成政のクロユリ伝説」があります。佐々成政は、戦国時代末にの越中の領主でした。当時の越中は、東に上杉謙信、西に前田利家がおり、南は飛騨の山、北は富山湾と四方を敵に囲まれたような状況となっていました。豊臣秀吉と関係が悪化した佐々成政はまさに孤立無援で、はるか駿河の徳川家康に救いを求め、真冬の北アルプス越え(雪の佐良越え)を決行しましたが、結局失敗に終わります。この間に、愛妾「小百合」と小姓「岡島金一郎」が密通したとの噂が流れ、越中に戻った成政の耳に入り、成政は烈火のごとく怒り狂い二人を斬首しました。この時、小百合がいまわの際に「この三年ののち、立山に黒百合の花が咲いたなら、佐々家は滅亡する事でしょう」と言って息を引き取ったと伝えられています。直後に豊臣遠征軍が越中に押し寄せ、佐々成政は降伏により越中の大部分を取り上げられましたが、新川郡(現在の富山市の一部)を安堵され、豊臣秀吉の御伽衆となりました。結構な強運の持ち主・・・。九州征伐に参加し肥後五十万石の大名に帰り咲いています。問題はここから、佐々成政には基本的に統治能力が無かったのか秀吉の巧妙な策だったのか判りませんが、成政が入国して一ヵ月後には肥後一円で大規模な百姓一揆が発生したことや「佐々成政の黒百合事件」では北の政所(ねね)の怒りをかうなどしたため、最終的には切腹となり、佐々家は滅亡しました。
 
クロユリ(写真:2011年7月14日8時56分撮影)、立山室堂平にて
クロユリ
 

 
クロユリと室堂の散策路(写真:2011年7月14日 みくりが池にて撮影)
クロユリと室堂の散策路
 
クロユリの群生
クロユリの群生
 
クロユリの花
クロユリの花
 
剱岳・早月尾根で見たクロユリ(写真:2016年7月12日6時57分撮影)、剱岳・早月尾根の雪渓から2800m地点の間にて
剱岳・早月尾根で見たクロユリ
 
クロユリの葉
クロユリの葉
 

2017年6月24日、クロユリの蕾(写真:2017年6月24日15時34分撮影)、みくりが池南縁
2017年6月24日、クロユリの蕾
 
2017年7月9日、クロユリの蕾(写真:2017年7月9日11時41分撮影)、立山室堂山荘近く
2017年7月9日、クロユリの蕾
 
蕾が付いたクロユリの群生(写真:2015年6月13日16時40分 雪解けが始まった立山・室堂平にて撮影)
蕾が付いたクロユリの群生
 
クロユリの蕾(写真:2015年6月13日16時43分 雪解けが始まった立山・室堂平にて撮影)
クロユリの蕾
 
2016年6月11日、クロユリの蕾(写真:2016年6月11日9時19分撮影)、室堂平のみくりが池近く
2016年6月11日、クロユリの蕾
 
クロユリの実(写真:2012年7月26日撮影)
クロユリの実
 

 
立山 高山植物図鑑
花の色別: 白花系黄花系青花系赤花系黒や橙色や黄緑色
花の種類別: キク科キンポウゲ科セリ科ツツジ科バラ科ユリ科リンドウ科
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