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屋台
青龍台
青龍台(せいりゅうたい、川原町)の屋台は、他の屋台とかなり造りが異なっています。入母屋造り(いりもや づくり)の屋根です。これは全屋台中唯一(他の屋台は切破風屋根)の形式で、棟飾りには金シャチが輝き、昔あった高山城天守閣を模していると伝えられています。屋台の大きさは最大級です。龍の刺繍で飾られた中段、下段が二層になっているのも特色です。
青龍台の創建年代は不明ですが、1716年(正徳6年)に宮本(みやもと、国主・金森氏の代行役)として祭儀を執り行った記録が残っています。熊野・道成寺の操り人形により「道成寺」と名乗りました。1815年(文化12年)に改造を行い「青龍」と改称しましたが、その後再び「道成寺」に戻りました。1834年(天保5年)に火災により焼失し、1851年(嘉永4年)に再建され、名前を再度「青龍」に改称しました。1890年(明治23年)に大改修を行っています。
飛騨国の国主であった金森氏の日枝神社に対する崇敬が厚く、川原町屋台組が神社膝元の重要地区にあったことなどから、金森氏の代行として宮本(みやもと)と呼ばれて、家紋梅鉢を使用し祭事を主宰する特権を持っていました。このため「宮本台」とも呼ばれ、屋台曳行の際には最後尾につき行事を指揮していました。この方式は、1893年(明治26年)に宮本が輪番制になるまで続きました。
青龍台 写真
青龍台の屋台 全景
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青龍台 提灯屋台
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青龍台 屋台の構成要素毎の写真
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