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前田家墓所
第10代藩主 前田重教公の墓
前田重教(まえだ しげみち)は、加賀藩 第6代藩主前田吉徳の七男(母は吉徳の側室・流瀬)として寛保元年10月23日(1741年11月30日)に金沢で生まれました。正室は、紀伊国紀州藩 第7代藩主・徳川宗将の長女・寿光院(千間姫)です。第9代藩主であった兄の前田重靖が若くして亡くなったため、1754年(宝暦4年)に家督を継ぎ、第10代加賀藩主となりました。
重教が藩主となった当時は、第6代藩主・前田吉徳以後、第7代・8代・9代と藩主が若死にし頻繁に藩主交代があったため藩の財政が逼迫しており、更に1748年(寛延元年)に発生した加賀騒動の余波(1754年(宝暦4年)まで守旧派による大槻一派への粛清が行われました)が続きました。財政の救済策として、銀札と呼ばれる紙幣を発行するも激しいインフレが起こり、各地で一揆が頻発するようになり、加賀藩内が騒然とした雰囲気に覆われました。銀札は1年目で発行停止となりましたが、藩財政に長く尾を引く結果になってしまいました。また1759年(宝暦9年)には宝暦の大火が発生し、金沢市街が2日間燃え続けその9割が焼失しました。文化面では、加賀狂言などの能狂言の普及に努めたことで知られています。
1771年(明和8年)に家督を異母弟の前田治脩に譲り隠居し、1786年7月7日(天明6年6月12日)に46歳で没しました。法名は「泰雲院殿仁彭寿大居士」です。
第10代藩主 前田重教公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
前田重教公の墳墓
前田重教の墓碑 墓碑銘:正四位下行左近衛権中将兼肥前守菅原朝臣重教之墓
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墓所の石柱 石柱銘:第十代 前田重教朝臣墓所
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石柵
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