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第3代藩主 前田利常公夫人(天徳院、珠姫)の墓


 天徳院(てんとくいん)は、徳川幕府第2代将軍 徳川秀忠の次女(母は継室 江)として1599年8月1日(慶長4年6月11日)に京都の伏見邸内で生まれました。幼名は子々姫(ねねひめ)、後に珠姫と改めました。
 1600年(慶長5年)に前田利常と結納をかわし、翌年の1601年(慶長6年)に江戸から金沢に入り、僅か3歳にして前田利常(7歳)に嫁ぎました。典型的な政略結婚であった前田利常と珠姫ですが、その夫婦仲は非常に良好で、1613年(慶長18年)に長女・亀鶴姫(後に森忠広室)、1615年(元和元年)に長男・前田光高(加賀藩 第4代藩主)、1616年(元和2年)に次女・小媛、1617年(元和3年)に次男・前田利次(富山藩祖)、1618年(元和4年)に三男・前田利治(大聖寺藩祖)、1619年(元和5年)に三女・満(後に浅野光晟室)、1621年(元和7年)に四女・富(後に八条宮智忠親王妃)、1622年(元和8年)に五女・夏と、三男五女の8人の子供をもうけました。五女・夏の出産後に体調を崩し、7月に享年24歳の若さで亡くなりました。法名は「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」です。金沢小立野に葬られ、そこに寺が造営され、諡名から「天徳院」と称されました。50年後の1671年(寛文11年)に前田利常の墳墓のある野田山に移葬されました。通常は藩主とその正室の墓は隣り合わせに造営されますが、天徳院の墓は時代が下ってから移葬されたため利常の墓と離れた場所に造営されています。
 
第3代藩主 前田利常公夫人(天徳院、珠姫)の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
第3代藩主 前田利常公夫人(天徳院、珠姫)の墓
 
天徳院の墳墓
天徳院の墳墓
 
天徳院の墓碑
天徳院の墓碑
墓碑銘:源朝臣珠子之墓
墓所の石柱
墓所の石柱
石柱銘:
石柵
石柵
 

 
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