いこまいけ高岡 >
石川県 観光案内 >
金沢市 観光名所 >
前田家墓所
八条宮智忠親王妃富子御墓
八条宮智忠親王妃富子(はちじょうのみや としただしんのう ひ とみこ)は、1621年(元和7年)に加賀藩 第3代藩主 前田利常の四女(母は天徳院(珠姫))として生まれ、1642年(寛永19年9月)に八条宮智忠親王(八条宮智仁親王第1王子、八条宮(桂宮)第2代)の妃となりました。富子妃は、1662年(寛文2年)に京都にて逝去され、霊柩を前田利常の墳墓近くに帰葬されました。富子妃の御墓は、1903年(明治36年)より宮内省(現在の宮内庁)の管轄となっています。
京都にある桂離宮は、八条宮初代の智仁親王が造営した別荘でしたが智仁親王の没後に荒廃していましたが、2代智忠親王が加賀藩より富子姫を妃として迎えたことにより大きな後ろ盾ができ、桂離宮を改修し(新御殿の造営や庭園の整備)、現在見られる美しい桂離宮を完成させることが出来たといわれています。
八条宮智忠親王妃富子御墓所(写真:2012年4月15日撮影)
八条宮智忠親王妃富子の墳墓
八条宮智忠親王妃富子の墓碑 墓碑銘:菅原朝臣富子之墓
|
墓所の石柱 石柱銘:智忠親王妃富子墓
|
ページ先頭(前田家墓所:八条宮智忠親王妃富子御墓)へもどる。
Copyright © 2006-2021 Ikomaike TAKAOKA. All Rights Reserved.