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前田家墓所
第7代藩主 前田宗辰公の墓
前田宗辰(まえだ むねとき)は、加賀藩 第6代藩主前田吉徳の嫡男(母は吉徳の側室・浄珠院(伊与・上坂氏))として1725年6月5日(享保10年4月25日)に金沢で生まれました。正室は陸奥会津藩 第3代藩主・保科松平正容の娘・常子(梅園院)です。
1745年(延享2年)に父・吉徳の死により家督を継いで第7代藩主となりましたが、在位1年余りの1747年1月18日(延享3年12月8日)に22歳の若さで亡くなりました。法名は「大応院殿梅観雪峯大居士」です。世継ぎとなる実子がいなかったため(長男・宗善は夭折)、跡を吉徳の次男で宗辰の弟に当たる前田重熙が継ぎました。
前田宗辰の治世は、1年半と短かったためこれといった業績は残していません。前田吉徳による藩政改革で重用された大槻伝蔵(加賀騒動の遠因となったとされる人物)が保守派の抵抗により失脚し、越中国五箇山(現在の富山県南砺市)へ流刑(追放)となり、その牢屋で自害するという事件が歴史に残されています。
第7代藩主 前田宗辰公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
前田宗辰公の墳墓
前田宗辰の墓碑 墓碑銘:正四位下行左近衛権中将兼加賀守菅原朝臣宗辰之墓
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墓所の石柱 石柱銘:第七代 前田宗辰朝臣墓所
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墓所の鳥居
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