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前田家墓所
第6代藩主 前田吉徳公の墓
前田吉徳(まえだ よしのり)は、加賀藩 第5代藩主 前田綱紀の三男(母は側室・町姫)として1690年9月10日(元禄3年8月8日)に江戸で生まれました。幼名は犬千代、後に江戸幕府 第5代将軍・徳川綱吉の一時をもらい吉治とし、更に吉徳と改名しました。正室は、尾張藩 第3代藩主・徳川綱誠の娘で徳川綱吉の養女となった光現院です。
1723年(享保8年5月)に父・綱紀が高齢と病のため、家督を譲られて第6代藩主となりました。先代の前田綱紀の時代に御三家に継ぐ家格となり100万石の大大名である事からも出費が多大で、かつ元禄・享保の文化爛熟期にあたり贅沢な気風がはびこり、加賀藩の財政は急速に悪化しました。前田吉徳は、父の藩政改革を引継ぐと共に質素倹約に努めました。このときに足軽(小姓)の大槻伝蔵を重用して改革を行ないました。改革は部分的に成功したものの、成り上がり者の大槻伝蔵が大きな権力を振るったために、保守派や門閥層が大きな不満を持つようになりました。
前田吉徳は、1745年7月11日(延享2年6月12日)に56歳で没し、法名は「護國院殿佛鑑法性大居士」です。吉徳の死の翌年に、大槻伝蔵は前田直躬ら保守派によって失脚させられました。皮肉にも、前田吉徳と大槻伝蔵の藩政改革が、後の加賀騒動の遠因となりました。
第6代藩主 前田吉徳公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
前田吉徳公の墳墓
前田吉徳の墓碑 墓碑銘:参議正四位下行左近衛権中将兼加賀守菅原朝臣吉徳之墓
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墓所の石柱 石柱銘:第6代 前田吉徳卿墓所
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鳥居
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