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前田家墓所
第4代藩主 前田光高公の墓
前田光高(まえだ みつたか)は、加賀藩第3代藩主・前田利常の嫡男(母は天徳院(徳川幕府第2代将軍 徳川秀忠の次女・珠姫))として1616年1月9日(元和元年11月20日)に生まれました。正室に徳川幕府第3代将軍・徳川家光の養女(水戸藩主徳川頼房の四女)である大姫(清泰院)を迎えたため、それまでは微妙な関係となっていた前田家と徳川幕府の関係が改善しました。前田光高は、非常に聡明な若君として知られ、学問を好み江戸の儒学者・林羅山を師とし、和歌は烏丸光広について研鑽を積みました。数々の著書を残しています。
1639年(寛永16年)に加賀藩 第4代藩主になりましたが、僅か6年目の1645年4月30日(正保2年4月5日)に30歳の若さで逝去(老中・酒井忠勝を招いた茶会の席で突然倒れて急死)しました。幸いにも実子の前田綱紀がおり、加賀藩前田家の血脈を守ることが出来ました。法名は「陽廣院殿將巌天良大居士」です。金沢市市街中心部にある尾崎神社(国の重要文化財)は前田光高によって造営されたものです。
第4代藩主 前田光高公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
前田光高公の墳墓:若くして亡くなり藩主としての期間が短かったためか小規模な墳墓です。
前田光高の墓碑 墓碑銘:正四位下行左近衛権少将兼筑前守菅原朝臣光高之墓
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墓所の鳥居
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