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前田家墓所
第2代藩主 前田利長公夫人(玉泉院)の墓
玉泉院(ぎょくせんいん)は、1574年(天正2年)に織田信長の四女として生まれ、名は「永姫」と呼ばれました。1581年(天正9年)12月に越前府中(現在の福井県武生市)に入輿し、7歳で前田利長に嫁ぎました。豊臣秀吉の側室・淀君と徳川幕府第2代将軍・徳川秀忠の夫人 崇源院とは従兄弟にあたります。前田利長が1614年6月27日(慶長19年5月20日)に高岡城で没すると出家し玉泉院と号し、高岡から金沢城に移り、1623年3月24日(元和9年2月24日)に亡くなり、享年は50歳でした。法名は「玉泉院殿松厳永寿大姉」です。金沢城の西の丸跡は、玉泉院丸とも呼ばれ、樹木・泉・石が配され庭園となっています。
第2代藩主 前田利長公夫人(玉泉院)の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
玉泉院の墳墓
玉泉院の墓碑 墓碑銘:平朝臣永子之墓
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墓所の石柱 石柱銘:前田利長卿夫人墓所
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墓所の鳥居
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