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藩祖 前田利家公の墓


 前田利家(まえだ としいえ)は、1538年(天文7年)に尾張国海東郡荒子村(現在の愛知県名古屋市中川区)の荒子城主・前田利春の四男として生まれました。幼名を犬千代、後に孫四郎、1562年(永禄5年)には又左衛門と改めました。
 前田利家は、14歳の時に織田信長に仕え、生涯で40回以上の戦いに参戦し、数々の武勲を挙げました。中でも、初陣の萱津の戦い(1552年(天文21年)、織田信長と清洲織田家の戦)、桶狭間の戦い(1560年(永禄3年)、織田信長と今川義元の戦い)、森部の戦い(1561年(永禄4年))、長篠の戦い(1575年(天正3年)、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の戦い)、賤ヶ岳の戦い(1583年(天正11年)に近江国伊香郡(現在の滋賀県長浜市)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦い、利家は柴田勢として参戦し合戦の途中に撤退し秀吉の勝利に貢献)、末森城の戦い(1584年(天正12年)、現在の石川県押水町での前田利家と佐々成政の戦い)が特に有名です。また「槍の又左」の異名で呼ばれるほどの槍の名手であったとされています。
 1585年(天正13年)9月に豊臣秀吉から羽柴筑前守の号を譲られています。豊臣秀吉の天下統一の大業は、前田利家の功績が多大であったとも伝えられています。大名としては、1570年(元亀元年)に近江国長浜一万石の領主となったのが初めで、越前府中(現在の福井県武生市)で三万三千石余、次いで能登一国を領有し、加賀国石川河北両郡を豊臣秀吉から増封され、1583年6月14日(天正11年4月25日)に金沢城(当時は尾山城)に入城しました。前田利家の金沢入城とともに加賀藩のの時代が始まりました。この入城の日を記念して毎年6月14日に、封国祭と金沢百万石祭りが金沢市で盛大に行われています。
 前田利家は、1599年(慶長4年)に大阪で逝去し、享年は62歳、法名は「高徳院殿桃雲浄見大居士」です。金沢市市街中心部にある尾山神社は前田利家公を祭神として祀っています。
 
藩祖 前田利家公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
藩祖 前田利家公の墓
 
前田利家公の墳墓
前田利家公の墳墓
 

 
前田家墓所
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