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前田家墓所
第14代藩主 前田慶寧公の墓
前田慶寧(まえだ よしやす)は、加賀藩 第13代藩主前田斉泰の長男(母は江戸幕府 第11代将軍・徳川家斉の娘・溶姫(偕子))として1830年6月24日(天保元年5月4日)に江戸で生まれました。正室は有馬崇子、継室は鷹司通子です。
1866年(慶応2年)に父・斉泰から家督を譲られて藩主となりましたが、2年後に明治維新となったため、加賀藩最後の藩主です。1869年(明治2年)には版籍奉還と同時に初代金沢藩知事に任ぜられましたが、1871年(明治4年)には廃藩置県により、金沢藩は廃藩となり、東京へ移住しました。1874年(明治7年5月22日)に熱海において享年45歳で亡くなりました。
前田慶寧の藩主としての在位は僅か2年間でしたが、卯辰山開拓という大土木工事を興し、病院慈善殖産や娯楽施設まで備えた一大社会施設を新設しました。これは前田慶寧が福沢諭吉の「西洋事情」を読み啓発され、社会福祉事業を充実させるために行った施策です。
幕末の禁門の変(1864年8月20日(元治元年7月19日))では、御所の警護に当たっていましたが、無様に敗退し退京したため父・斉泰の怒りを買い謹慎処分となり、側近であった家老の松平康正と藩士の大野木仲三郎が切腹となりました。その後、親幕派であった斉泰は、前田慶寧と近かった尊皇攘夷派の武士を弾圧し加賀勤王派を壊滅させました。このため100万石の大大名であった加賀藩がたいした影響力を発揮させることなく明治維新を向かえ、明治維新後長い間薩長の風下の立たされる結果となりました。
第14代藩主 前田慶寧公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
前田慶寧公の墳墓
前田慶寧の墓碑、墓碑銘:贈従二位前田慶寧之墓
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