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第3代藩主 前田利常公の墓


 前田利常(まえだ としつね)は、前田利家の四男(母は側室の寿福院)として1594年1月16日(文禄2年11月25日)に生まれました。慶長6年(1601年)徳川幕府第2代将軍 徳川秀忠の次女・珠姫(3歳)を正室に迎えています。加賀藩第2代藩主前田利長に男子が無かったため、1605年(慶長10年)に若干12歳にして利長の跡を継いで第3代藩主となりました。
 前田利常は、十村制(地方の有力な農民を十村として農村の管理監督と徴税を担わせる制度)や改作法(貧農の救済と年貢納入の徹底を定めた法)などの優れた農政改革を実施し、加賀百万石の治世が安定しました。また美術・工芸の振興に努め、更に神社・仏閣の造営にも力を注ぎました。羽咋の妙成寺(利常の生母・寿福院の菩提寺、本堂他が国の重要文化財)、小松の小松天満宮(国の重要文化財)と那谷寺(国の重要文化財)、高岡の瑞龍寺(国宝)などはいずれも前田利常の時代に造営されたものです。
 1639年(寛永16年)に嫡男の前田光高を第4代藩主として家督を譲り、小松に隠居所として居城を造り晩年を過ごしました。その間に小松の商工業振興に努め、今日の石川県第二の都市の礎を築きました。1645年(正保2年4月)に前田光高が急死し跡を継いだ前田綱紀が3歳とまだ幼かったため、6月に将軍・家光からの命令で綱紀の後見人として藩政を補佐しました。1658年11月7日(万治元年10月12日)に小松で没し、享年66歳でした。法名は「微妙院殿一峯克巌大居士」です。
 
第3代藩主 前田利常公の墓所(写真:2012年4月15日撮影)
第3代藩主 前田利常公の墓
 
前田利常公の墳墓(パノラマ合成した写真)
前田利常公の墳墓
 
前田利常の墓碑
前田利常の墓碑
墓碑銘:権中納言贈従二位兼行肥前守菅原朝臣利常之墓
墓所の石柱
墓所の石柱
石柱銘:第三代 前田利常卿墓所
墓所の鳥居
墓所の鳥居
丸穴
丸穴
 

 
前田家墓所
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