いこまいけ高岡
高岡 史跡
高岡にある史跡を紹介します。お薦めは山町筋(土蔵造りの町並み)と高岡古城公園です。
山町筋:文化庁重要伝統建造物保存地区、高岡市中心部
高岡市街地の約600mの長さの山町筋には、明治時代に建てられた元商家の土蔵作りの家が42棟建ち並んでいます。この界隈は、高岡の商人町として栄えたところであり「高岡御車山祭」が行われる由緒ある町として、通称「山町筋」と呼ばれています。「土蔵造りの町並み」として文化庁重要伝統建造物保存地区に指定されています。[
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高岡古城公園:富山県史跡、高岡市中心部
高岡古城公園は、加賀藩2代藩主:前田利長が築いた高岡城の城址を明治以来公園として開放したものです。総面積は71261坪(水濠は22400坪)あり、城内は本丸・二の丸・鍛治丸・三の丸・明丸などに分かれていました。公園面積の約1/3を占める水濠はほとんど原型のまま今に残り、水濠公園として全国的にも珍しい存在です。[
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城山公園・守山城跡:二上山
守山城、二上城、海老坂城、城山袴腰(標高259m)と呼ばれています。城山公園は、その本丸跡です。富山平野を一望に見下ろし、前方には小矢部川、後方は氷見の海岸線にはさまれ、山高く道の険しい地形は越中随一の要害でした。[
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桜谷古墳:国指定史跡、高岡市太田(雨晴の近く)
桜谷古墳は、国指定史跡です。大正7年に発見され大正13年まで発掘が行われました。調査の結果、前方後円墳が2基と円墳が7基が確認され多数の遺物が発見されました。出土品は、東京国立博物館と高岡市立博物館に収蔵されています。[
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武田家住宅:国指定重要文化財、高岡市太田(雨晴の近く)
武田家住宅は、大田村(現 高岡市大田)の肝煎り(庄屋)の居宅であった家です。安永〜寛政年間(1772〜1800年)にかけての伏木勝興寺の再建時の余材で建てられたと云われています。建築年代が古いにもかかわらず、よく保存され当初の形式を残していることを評価され、国の重要文化財に指定されました。[
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桓性皇子の墓:ご陵墓、高岡市二塚
高岡市二塚にある桓性皇子の墓は、越中に幽閉されたこの地で亡くなった後醍醐天皇の皇子「桓性皇子」のご陵墓です。富山県内で陵墓指定されているのはここだけです。[
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佐伯家住宅:国指定重要文化財、高岡市福岡町
佐伯家住宅(国指定重要文化財)は、明和4年(1767年)に建築着手し、翌明和5年に約15q離れた場所にあった旧川崎村(現南砺市上川崎)の「三之助」の住宅を買い取り移築したものです。移築時を含めこれまでに三度の拡張が行われ、昭和48年には江戸時代末期の姿に復元されました。[
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木舟城跡:富山県指定史跡、高岡市福岡町
木舟城は石黒太郎光弘が、寿永3年(1184年)に築城したと伝えられています。戦国時代には一時期越中を治めた佐々成政方の城となり、後に前田利家の末弟である前田秀継が入城しました。天正13年(1585年)8月に大地震が発生し、一夜にして城は壊滅し秀継夫妻も亡くなり、城下町も壊滅しました。[
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下向田古墳群:高岡市指定史跡、高岡市福岡町
下向田古墳群は、小矢部川左岸の西山丘陵上、標高100m程の場所に立地し、円墳と方墳によって構成される古墳時代後期の群集墳です。[
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